きむ子、嫁に行きます~結婚から渡米準備の記録~

新婚ほやほや、のんびり田舎主婦生活かと思いきや!なんと半年後旦那さんの転勤でアメリカに行くことに!日本語も怪しいきむ子…果たしてアメリカ行けるのか!?

ストラスブール観光①~時計の歴史を学ぶ~

ネゲル​で美味しい朝ごはんを食べ、



次はストラスブール観光へ!



ストラスブールパスなるものを購入






色々なチケットがついていてストラスブールをぐるり観光する方にはおすすめ

そのチケットの中にストラスブールイル川クルーズも含まれていました

イル川クルーズは何時のに乗船するか予約が出来るのでとりあえず2時のを予約

それまでは街ぶらとお昼ごはんで時間をつぶすことに

まずはストラスブール大聖堂



街のなかにひょっこり登場ひょっこりはん



近づくとその大きさに圧倒されます!



パイプオルガンも立派



バラ窓



サイドのステンドグラスもとても細かく作ってあります



からくり時計(このからくり時計の説明(有料)というのがお昼の時間にあるのですが、それもストラスブールパスに含まれています)



今回の旅行でいろんな国をまわりました

そしてどの国でも基本的に教会は無料で開放されていたので、たくさんの教会を見て回ることができました

一歩踏み入れると、中はステンドグラスを通して入ってくる明かりだけで照らされ、息をするたびに体が冷たい空気で満たされていきます

教会の中と外では全く違う世界のように感じました

そして、そんな空間に時計があることがなんとなく不思議でした

「日常と切り離されたような空間になんで時計があるのかしら?」

ということで、

少し時計の歴史について調べてみました。



「時計」と呼べるものが現れたのは、今か ら約6000年前のエジプトの日時計といわれている。日時計を 発明し、昼間(日の出~日の入り)の時間 を12等分した。
つまり紀元前から「時間」の観念はあったわけだ。 ただ夏と冬では昼間の時間が違うため、この頃は同じ1時間でも長さが違ってしまう不定時法」だった。つまり農耕や牧畜など、大自然の営みを中心と した当時の生活では、それくらいアバウト な“時間”しか必要なかったわけであり、 「いま何時?」よりもむしろ「どれくらい 時間が経った?」の方が大切だった。 
日が昇ると畑に出て、日が沈むと家路につく。そんな“自然と生きる人々”には、 日時計水時計が知らせる時間で充分だった。そこに“新たな時間へのニーズ”が生まれて初めて、時を刻むシステムは「機械仕掛け」へと進化するのだった。
初めての機械時計は1300年頃、イタリア、ドイツ、フランスのいずれかで、ほぼ同時期に作られたと考えられている。重錘を駆動力とし、ヴァージ(冠型)脱進機と 棒テンプを組み合わせた調速機によって歯車を一定速度で回す仕組みだった。だが、 考えてみると不思議だ。重錘を利用して製 粉機を回す方法は2000年前からあったし、 歯車を使う技術もずいぶん昔からあった。 脱進機は10世紀初め頃にフランスのジェル ベールによって発明されていた。 極言すれば、これらを組み合わせれば 機械時計になるはずなのに、1300年まで その登場を待つことになったのはナゼか? 答えは、大多数の民衆が相変わらず 日時計水時計で充分満足できるアバウト な時間の流れの中に生活していたから だった。
では、1300年頃、時間に対し て新たなニーズを感じたのは誰だったのか?それは修道僧たちだった。当時 の修道院は、教会を中心に畑、穀 倉、作業場、居住地など生活の全 てをそろえたコミュニティだった。 そこでは、神に仕える者が守るべ き規律として仕事、祈祷、睡眠の 時間などが厳格に定められていた。 それらの時間の到来を告げるため 教会の鐘を「15分ごと」などとい う細かさで鳴らす役割は、修道僧 の大切な仕事だった。つまり、重要なのは「どれくらい経ったか?」 ではなく「何か始める時間が来たか?」だったのだ。 それほど大切なのに、雨天や日 没後には水時計や蝋燭時計などの 時計に頼らざるをえないという状況から脱する必要性から、当時の知的エリートである修道僧たち が、機械時計を発明したのである。~大人の科学より~

 






修道僧の勤勉さや尊い信仰心、神への尊敬の念が今に繋がる時間の概念へ変えたわけです。


ちょっと休憩がてら教会に入っていたきむこに修道僧の爪の垢を!!



つづくー



きむこ





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2万歩歩いても足痛くならなかった!

 




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